さすが東京五輪代表だ! 脇本雄太(31=福井)が打鐘前2角からの先行逃げ切りで、23年ぶり10人目(11回目)の高松宮記念杯完全優勝を決めた。

97年吉岡稔真(福岡=引退)以来の快挙で、脇本のG1完全Vは昨年5月の日本選手権に次ぎ2回目。G1タイトルは4個目となった。2着に和田健太郎、3着に松浦悠士が入った。

一番強い男が、一番強い走りで勝った。打鐘前2角の山おろしを使い、7番手から脇本がスパートした。打鐘過ぎに先頭に躍り出た時点で勝負あり。松浦の追い上げも、和田の差し込みも、持ち前の踏み直しで一蹴した。「今年一発目の競輪という緊張感の中で、完全優勝ができてうれしく思う。3日間同じこと(打鐘発進)をしてきたので、同じことをしようと思っていた」と頬を緩めた。23年ぶりの宮記念杯完全優勝は、鮮やか過ぎる逃走劇だった。

求めるレベルが違う。準決も逃げてラインでの上位独占に成功。「どうしたらラインを引き連れて決められるか。自分の脚質を見極めながら、ラインを生かすことを考えた」。勝利と同時に競輪選手としての究極の目標を掲げて走っていた。

今年2月、世界選手権のケイリンで銀メダルを獲得し、東京五輪での金メダルへと歩み始めていた。その矢先、新型コロナウイルスが世界中にまん延。「生きている中で、東京五輪に巡り会えたのは最高に恵まれている」と言う脇本にとって、五輪延期の報は絶望でしかなかった。そこで声をかけたのがナショナルチームのブノワ・ヘッドコーチだった。「強くなるために1年間の猶予ができた」。この言葉がなければ、23年ぶりの偉業もなかったかもしれない。

世界的に競技大会の予定がなく、7月のいわき平G2サマーナイトフェスティバルには出場できる見通しだ。「目の前のあっせんをしっかり走って、しっかりアピールしたい」。初の無観客G1だった今大会。多くのファンが勇姿を見られるようになるまで、脇本は競輪界トップに君臨し続ける。【山本幸史】

脇本雄太(わきもと・ゆうた)1989年(平元)3月21日、福井市生まれ。科学技術高卒。競輪学校(現養成所)94期生として08年7月12日福井でデビュー(1着、1着、2着)。今年2月の世界選手権ケイリンで銀メダル。来年の東京五輪自転車トラック競技日本代表。18年オールスターがG1初制覇で今回が4冠目。通算744戦269勝。通算獲得賞金は6億1725万7600円。180センチ、82キロ。血液型A。